フリードリヒ2世として彼は28歳の時即位しました。 啓蒙主義者であったフリードリヒ2世は、即位後すぐ改革に取り組みます。 そして同年、あのマリア・テレジアがハプスブルク家を継承します。 マリア・テレジアとフリードリヒ2世のライバル対決は、それこそ、「越後の龍・甲斐の虎」と同じく、完璧な勝敗はつきませんでした。 力が拮抗していたからこその、ライバルなのかもしれませんね。 フリードリヒ2世 と マリア・テレジア といえば 激しいライバル関係 。 ところが、そんな二人に 「結婚しようか」 という話がもちあがったことがありました。 フリードリヒ2世がプロシア王に即位するよりもまだ前のことです。

フリードリヒ2世(Friedrich II., 1712年1月24日 - 1786年8月17日)は、第3代プロイセン王。 マリア・テレジア (独: Maria Theresia, 1717年5月13日 - 1780年11月29日)は神聖ローマ帝国のローマ皇帝カール6世の娘で、ハプスブルク=ロートリンゲン朝の同皇帝フランツ1世シュテファンの皇后にして共同統治者、オーストリア大公(在位:1740年 - 1780年)、ハンガリー女王(在位:同じ)、ボヘミア女王(在位:1740年 - 1741年、1743年 - 1780年)で、ハプスブルク帝国の領袖であり、実質的な「女帝」として知られる(下記参照)。

ちなみに、マリア・テレジアとフリードリヒ2世はかつて結婚しそうになったことがあります。 16人もの子を産んだ女帝マリア・テレジア 40年間に及ぶ女王生活の功績スゴイ!