1870年、プロイセン(普)とフランス(仏)の戦争。プロイセンが勝利しドイツ帝国を成立させる。フランスでは第二帝政が倒れ、パリ=コミューンを経て第三共和政に移行。

普仏戦争/プロイセン=フランス戦争/独仏戦争. 普仏戦争によってプロイセンはドイツを統一し、ドイツ帝国の樹立に成功しました。これ以降、ドイツ帝国は宰相ビスマルクのもとで、ロシア、オーストリアと「三帝同盟」を結び、外交的にフランスを孤立化させる方針を採ってヨーロッパの覇権をとるために躍進することとなります。 普仏戦争への前提 ビスマルクのプロイセンが実質的にドイツ統一の主導権を握った結果、次ぎにナポレオン3世とのヨーロッパの覇権をめぐる争いにステージが変わる。わずか4年後に普仏戦争が始まる。 の2点も押さえておく必要がある。 普仏戦争勃発時、462,000人のドイツ軍が完璧にフランスの前線に送り込まれた一方、フランス軍は270,000人しか前線に送り込めなかった。 フランス軍では、ずさんな計画と管理のために、まだ一発の銃弾も発射されない内から、既に100,000人の兵を活用できない状態になっていた [61] 。