まずは夏のおやつのド定番『白玉』。現代では、丸い一口サイズの団子をフルーツパンチや砂糖水に浮かべて食べるのが一般的ですね。あんみつやパフェに乗せて食べる“スイーツ食い”(命名:IWA)も一般的に定着しています。 江戸時代の白玉は、餅粉が原料の寒晒粉(かんざらしこ)を水を加えながら練り上げ、それをコロコロと丸めて冷水または湯に漬けて白糖をぶっかけて食べていました。食紅で赤く色づけした白玉も登場し、江戸っ子のオシャレ心を大いにくすぐります。 夏の暑い時期。江戸の町に … 江戸時代中期に上方中心で起こった元禄文化 2. 江戸時代後期に江戸中心で起こった化政文化に大きく別れます。 そんな元禄文化や化政文化なんですが、この二つの文化はこれまでの貴族や武士の間での文化とは違い、町人による文化だったことにあります。 例えば室町時代に能や茶道などが生まれましたが、能の創始者と言われている世阿弥は足利義満の庇護を受けており、茶道を大成した千利休は織田信長や豊臣秀吉から信頼を得ていました。 その一方で元禄文化や化政文化は上の … 江戸の庶民の暮らしや感性は、とにかく現代と共通点が多い。現代の暮らしに受け継がれているものや「今も昔もかわらないんだなあ」と思うことが、江戸時代の庶民生活にはあふれている!時代劇を見ているだけではわからない、江戸庶民の生活をのぞいてみよう。 江戸時代の文化は、 1. 私達先祖の古代人は農耕を主に、米、粟、麦を主食に、その間に野生の木の実や果実を食べていました。菓子は果子という字がもとです。今でも果物の事を”水菓子”と言ったりします。菓子の始まりは、「古能美」(このみ、木の実)または「久多毛能」(くだもの、果物)であったろうと思われます。ですから、人工的に手を加えた今のお菓子の原形は奈良・平安時代に輸入された唐菓子に始まるとされる、という説が一般的です。自然の果物に対し、こうした人工的なものがやがて「菓子」と呼ばれるよう … 富山に江戸時代から伝わる伝統菓子です。その名の通り、水面に張る薄い氷のように口に入れるとを儚く溶け、淡く風味が口の中に残る繊細な日本人好みのお菓子です。 その伝統菓子を現代風にアレンジした薄氷本舗 五郎丸屋の「t5」。 江戸時代には、庶民の間で駄菓子文化が花開きました。こうした駄菓子文化も和菓子文化の一部分だと言えましょう。ここでは、駄菓子のなかでも飴について取り上げます。 江戸時代の江戸では庶民もお菓子を買って食べるようになりましたよ。 江戸時代初期には京都からの『下りもの』として京都のお菓子が尊ばれていましたが、亨保・安永・天明年間(1720~1780)頃になると江戸のお菓子も出始め、桜餅、金つば、大福餅、おこし、せんべい等の生活 …